アメリカ合衆国の歴史 植民地時代2 (アメリカ留学へGo 米国留学、アメリカ合衆国への道)

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アメリカ合衆国の歴史 植民地時代2

英国からの植民団はニューイングランド植民地を建設したが、カナダに植民するフランスとの対立が生じ、17世紀から18世紀にかけて英仏がヨーロッパにおいて戦争をするたびに、植民地でも戦争が起こったため、一連の北米植民地戦争が続いた。この抗争は1700年のスペイン継承戦争によって端を発し、七年戦争・フレンチ・インディアン戦争によって英国が勝利する1763年まで続いたが、この戦争中に英国は次々とフランス・スペインの植民地を獲得、また南部に広がるスペイン植民地への奴隷専売権を得た。こうして英国は北米大陸の大西洋沿岸をほぼ全て手中に収め、イギリス海上帝国、つまり大英帝国の礎を築き上げた。

北米東海岸を一手に握った英国は、先住民インディアンを駆逐して領土を西へ拡大した。この段階で13州の植民地を建設し、州によっては白人の人口が先住民を上回る地域が生まれた。18世紀にはいると、寒冷で比較的農業に向いていなかった北東部で醸造、造船、運輸などの産業が発達し、英国本国の経済を圧迫するようになった。英国はかねてから「羊毛品法」や「鉄法」によって植民地での工業発展を妨げ、英国以外との独自貿易を禁じてきたが、ここで重商主義政策をしいてさらに圧迫した。また、フランスとの長い戦争中に自国軍の駐屯費や戦費を拠出するため、植民地住民に対して重税を課し、「印紙法」によって貿易独占を企てた。住民は反課税と印紙法廃止を主張して1765年に激しい反対運動を展開したため、英国は翌年これらを撤廃したが、「茶法」によって茶の貿易を独占しようとした。対して住民は1773年にボストン港を襲撃、ボストン茶会事件となった。

茶会事件に衝撃を受けた英国はボストン港を閉鎖、住民に対して強硬な姿勢を示した。ここにおいてアメリカ大陸13州の住民代表者はフィラデルフィアで史上初めての大陸会議を開き、植民地の自治権を求めて英国に対して反抗、1775年4月、英国の駐屯兵と住民有志による民兵が衝突(レキシントンの戦い)し、アメリカ独立戦争となった。住民代表者は第二回大陸会議を開催、ジョージ・ワシントンを戦争の総司令官に任命して大陸軍を結成、1776年7月4日の大陸会議においてワシントンは、トーマス・ジェファーソンが起草し、近代民主主義の原点となったアメリカ独立宣言を発表した。

wikipediaより

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2006年11月16日 23:39に投稿されたエントリーのページです。

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