植民地時代 (1493-1776)
ピルグリムファーザー (N.Y.)イタリア半島を中心としたヨーロッパでルネサンスが花開いたこの時代、ポルトガルとスペインはいち早く遠洋航海技術を身に付け、大航海時代が幕をあけた。イタリア(ジェノヴァ)人クリストファー・コロンブスはスペイン女王の承諾を受け、大西洋周りによるアジア発見を志したが、1492年に西インド諸島を発見した。これに引き続き、英国人ジョン・カボットが北米大陸の東海岸を探検し英国が領有(ニューイングランド植民地)、フランス人カルチエがセントローレンス川を遡ってフランスが領有化(カナダ植民地)するなど、西欧人による南北アメリカ大陸の探検と開拓がはじまった。特に現在のアメリカ合衆国に置ける植民地としての開発は当初から多民族国家となる運命を辿るかの様な植民地活動が行なわれた。メインとなる民族は、イギリス人とフランス人だが、ヴァージニアやカロライナにはイギリス人が、ルイジアナにはフランス人が、ニューヨークやニュージャージーにはオランダ人が、デラウェアにはスウェーデン人が、フロリダにはスペイン人が、それぞれ思い思いに今日のアメリカ合衆国の範囲に植民地を築いたのである。アメリカ東部には、すでに17世紀中葉に現在のアメリカ文化に繋がる欧米文化が移植されていたのである。
西欧人は植民地で砂糖、コーヒー、綿花、タバコなどの農作物を農園で作り出したが、労働者の不足に悩まされた。西欧人はこれと同じ時期にアフリカ大陸の大西洋沿岸にも進出し、現地のアフリカ人有力者に住民の徴発を命じて、それを買い取り、南北アメリカ大陸に輸出した(奴隷貿易)。それと交換に進んだ火器や、当時進出していたインド産の木綿をアフリカ人有力者に売った。ただ、誤解が多くあるが、植民地時代の奴隷需要はカリブ海地域および中南米が圧倒的であり、北米への奴隷輸出は多くない。奴隷制度によって維持される南部の広大なプランテーション農業が盛んになったのは、19世紀になってからである。
wikipediaより